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NL30: 時間軸をずらす

1年の計は元旦にあり、と日本では言います。

ぼくはいつの頃からか、新年といえば旧正月、という身体になっていました。


「普通の日本人の時間軸」とは違う生き方は、果たしてメリットなのか、デメリットなのか。ぼくなりの考え方を書いてみます。


写真:エベレスト山脈から昇る日の出。2019年12月30日、ネパールにて撮影。



行事をずらすメリット


20年近く、新年=春節という体内時計で暮らしてきた事で、日本人なのに不便じゃないか?と聞かれたことがあります。


春節は、旧正月のお正月のため、西暦の1月1日ではなく、毎年異なります。2022年は西暦2月1日が旧暦の1月1日にあたります。


例えば日本的行事・・というと、年賀状を書いたり、初もうでに行ったり、実家に帰ったりといったものがあります。


年賀状でいうと、僕はなんとなく年賀状を送ったのが高校生までで、大学に入ると「あれ?これって本当に伝えたい人に送っているんだろうか?それとも義務?」と、自問するようになり、いつの頃からか自分から送る事を止めました。社会人になってからも、ほぼ海外だったのでその習慣は今でも再開していないままです。


というよりは、「本当に連絡したい人には年賀状みたいな一斉に送りあうイベントではなく、本当に必要な時に心をこめて連絡したい」と、昔から思っています。義務として送りあう紙・モノに昔から疑問をもっています。


初もうでに関してはコロナ前から単純に人混みが苦手という理由で、普段の神社に戻ってからを好んでいました。海外に住むと強制的に初もうでは不可能になるので、「新年のあいさつを神様にしなきゃ」という概念も消えました。その代わり、帰国して行ける時に、きちんと挨拶をする、という気持ちの切り替えですね。


正直に言うと、なんとなく慣習・惰性・習慣で皆がやっていることを、盲目的にやるのが子供の頃からあまり好きではありませんでした。自分の方法で、自分のタイミングで感謝や連絡を伝えたいと。


その気持ちは、今でも変わっていません。


「流れ」というベルトコンベアから離れてみる事で、生まれる自由な時間・心というものが沢山あることを、ぼくはこの人生でたくさん実感してきたような気がします。


日常生活がなんだか息苦しい方は、いっそ日本の流れ・慣習とは違う、ちょっとタイミングのずれた習慣で生きてみると、意外と気が楽になるかもしれません。


ぼくの口癖は、「すみません、旧正月が1年の始まりの習慣が身についていますので・・」です。他人からどう思われようが、この体内時間のおかげでどれだけ楽になるかを知っているので、おそらく僕はこの先も春節を新年という周期で生きていくと思います。





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